「花材」求める目―― ペルー 2
日程のはじまりは、在ペルー日本人大使館表敬訪問となっていた。車で五分で行けると聞いた。それなら朝は、それほど早起きはしなくてもよいと思って、前夜は眠りについたのに、目覚まし時計の鳴る前に目が覚めてしまった。私はホテルの玄関にたたずみ、時間がくるまでまわりの様子をながめていた。玄関の両側には大きなシュロの木が植えられていて、丈の低いさまざまな植物の群のなかに、ひときわその高さを誇っていた。思えばこのときから、「花材」を求める目が動き出したのだった。
予定より早く大使館に到着したため、大使は外出先からまだお帰りではなかった。それではまず、大使館所有の花器をごらんになりますか、とのN氏の提案で、デモンストレーションに使用する花器を選ぶことにした。日系職員のKさんが、腰につけた鍵の束をジャラジャラいわせながら倉庫の扉を開けてくれた。使用させてもらう花器の色と形を市瀬さんがノートにつけていく。何点かの花器を並べてみると、それらは当然のことながら、日本でよくみかける華道用にできた水盤や、投げいれ用のシンプルな花器だった。
「このほかにもペルーの方たちが日常使っているような、そうですねぇ、たとえばかごとか、おなべとか生活用具のようなものがあったら花器に使いたいのですが、何かあるでしょうか」
Kさんは、五十代後半の、いかにも人柄がよさそうで、大使館の隅から隅まで知っているような人だった。やや太りぎみで、階段を上ったりするとフーフーと肩で息をした。
「そうねぇ、ああ、そうだ。ちょっと待ってください」
Kさんは私たちを残して出ていったが、やがて、ポップコーンをいる小さな手のついたなべとか、編まれた大きな手さげかごを持ってきた。赤や黄の縞がきれいなかごは、白髪のKさんがさげているとよく似合った。
これで花器はだいたいそろった。後は少し大きめの作品をいけてみようということになった。それと大きな木のようなものか、木の枝の太いものがあるといいのだが……。
どこかに、何の木でもいい。枯れ木でもかまわない、いらない木を切らせてくれるような所はないだろうか。その木を組んで形を作ってみたらどうだろう。なまの植物に水を飲ませるためには、東京から空缶を針金に通してきて、どこにでもくくりつけられるようにした、私たちが「おとし」と呼んでいる器をとりつければよい。やがて大使がお帰りになったという知らせが入る。
大使は私たちにリマのことをいろいろと話してくださり、大使夫人が公邸の庭を案内してくださった。リマでは植物がとても早くのびるので、もしこの庭で使えそうなものがあったら切ってもかまわない、遠慮なくどうぞということだった。鳥の巣になっている何かわからない大木は、二十メートルはあるだろうか。私たちは鳥のおとした白いものが、無数にかかっている姿を見上げた。
公邸をとりまくように植えられている杉の木は、塀の高さをはるかにこしているが、十年もたっていないとという。風向きのせいなのか、陽のあたりなのか、そういう性質のものなのか、木の先端が同じ方向にカーブしている。だが、雨の降らない街にどうしてこのように早く木が育つのだろうか。遠くアンデスから水が地下にでも流れているのだろうか。あとでリマの地図をしげしげと見なおして、私は、あ、そうかと納得したのだった。
スペインのフランシスコ・ピサロの一隊が一五三一年から三三年にかけて、ペルーに上陸し、インカを征服したのだが、そのとき彼がなぜ、ここリマを活動の拠点としたか。それはこの土地が二つの好条件をそなえていたからだった。
「第一の好条件は、ここが海岸部の中での灌漑の可能性をもった大きな地域の一つであること。というのは、リマックがその豊富な水を、広い面積の沖積平野にもたらすからである」そして、もう一つは「沖に島があり、その島に向かって岬がつき出ているため、船の停泊には、まことに具合がよい」からだとガイドブックにある。リマ市の北をリマック川が流れていて、この水が雨の降らないこの町に水をもたらす。
しかしこのときは、そんなことを考える余裕はなかった。大使公邸の庭のガーベラやあじさい、赤まんまに似た花をつけた大きな草などを、見てまわった。マリーゴールドもあった。名のわからないものは、市瀬さんがイラストを描きそえて記録していく。デモンストレーションの準備ははじまったばかりだった。食事のできるあいだ、第一回目のデモンストレーションが行なわれるホテル内の会場にN氏に連れていってもらう。見取り図を見ながら、当日の机の位置と数を確認する。スポットライトもいくつかつくそうだ。スタンドマイクを一本、ワイヤレスで胸につけられるピンマイクを一つ用意するようお願いして食事にする。
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