いけばなの中の空間―― チリ 4
カクテルパーティーには、白髪の大使と大使夫人が出席してくださった。
パーティーがはじまる夕方には、すっかり雨になってしまった。会場のビルの十数階から、雨に流れそうなネオンを見ていると、きょう花材を採集してしまってよかったとつくづく思った。じっとしていると、しんしんと自分の体が冷えてくるのがわかる。日本だと、十一月のはじめのころの気候だろうか。
「ホテルから万年雪をかぶった山が見えますよ。サンチアゴは六百メートルくらいの高さにある町ですが、何しろアンデスが近くでしょう」
と大使が説明してくださる。
すぐ近くには、有名なアコンカグアという七千メートル近い山がひかえている。ここはアンデス山脈の影響を直接うける大都会なのである。
この旅も、まもなく全日程の半分が終わろうとしていた。しょぼしょぼ降りつづく雨のなかで、寒さが体にこたえていた。八時間の睡眠が必要な私には寝不足気味のせいもある。旅のスケジュールを見たとき、ボリヴィアの高度にすっかり気をとられ、その次のサンチアゴについては、ともかく大都会だからと安心感をもっていたので、季節や気候のことまで考えてこなかった。
寒いだろうとかまえていると人間の体はどうということはないのに、寒さに不意打ちをされると、もろいものだと実感する。こういうときにいちばん風邪をひきやすい。ひいてしまったら、これから先どんなにか多くの人たちに迷惑をかけるだろう。スケジュールに穴をあけてはいけない。
ホテルの自室ではいつもよりよけい着こみ、レッグウォーマーで武装する。日本は五月の一番いい季節なのに。手の荒れはクリームをすりこんでもなおりそうもなかった。とれないよごれが、爪のあいだにたまっていく。
窓の外にはまだ雨の音がしていた。
雨の降る前に準備ができてよかったと、私たちは花材を整理しながら言った。だが、サンチアゴの雨は、悪いことばかりではないのだ。雨は花材のほこりをながしてくれるので、ラパスやリマに比べると葉や枝を洗う割合が少なく、準備の手間がずっと省けるのだった。
熱い昆布茶が体の中を通っていく。体が温まったところで明日の花市場に行く迎えの車の時間を確認し、目覚まし時計をセットする。
アンデス山脈から流れだした水が、サンチアゴの町を流れていく。
ほとんど雨のないリマ、乾期だったラパス。ここチリのサンチアゴはうってかわって毎日雨なのだ。
旅をするときはいつも水に気をつけなければならない。南米の旅でも、水には神経質なほど注意を払った。なま水は絶対にさけたし、清涼飲料やお酒などは、凍りぬきにしてもらった。サラダも水道の蛇口からの水で洗われるのだろうと思って、必要最小限しか口にしなかった。そのせいだろうか、帰国して三週間目、体中に発疹がでた。
それでも、歯をみがくときはミネラルウォーターで、顔を洗うときには水が目に入らないように気をつけて、もし入ったら目薬をさし、お風呂もシャワーだけにして、といったインドに比べれば、緊張の度合いはずっと低かった。
「でも水道の水には、たしかに気をつけたほうがよくってよ」
B夫人は美しい顔をいっそう近づけて言う。
「サンチアゴの水はもちろん、アンデスからの水でしょ。いいえ、その水が不潔だというのではないんです。ただ、流れてくる途中で鉱物を含むわけ。その鉱物質になれない人の体には、よくないというわけね」
何度かの海外転任の経験をもつB夫人も、長い年数のあとでサンチアゴへもどったときには、なれるまで水に気をつけたという。
その土地の人間と、草や花や木。水を媒介としてできあがっている二つの生物。水というファインダーを通してみると、人や花も共通項をもっているわけだ。花と人はさがせばどこかに、思いがけない共通点があるのかもしれない。そんなことをサンチアゴの花市場の、透明感のある色をした花々を見て思う。赤い色がとくに鮮やかなのだ。
リマの公園で花材採集したとき、まっすぐな枝のものがたくさんあった。それを見て、ここでは「枝ぶり」にあたるスペイン語はあるのだろうかと思ったものだが、それには当然その木を育てている土と水の性質が関係しているのだろう。
日本で何年間かいけばなを学んだ生徒が、自分の国に帰ってから、いけてみましたと作品の写真を送ってくる。
なかには技術もけっこうきちんとおぼえ、上手にいけていたのに、なんだか初心者にもどったような花の写真を送ってくる人もいて、少しがっかりさせられたりもする。
日本の「豊富な花材が恋しいです」というようなことも書きそえられていて、私も、そう、花材も外国ではちがうしね、と写真を見ながら思ったりするのだった。
花材の性質がちがうというのはこういうことなのかと、深く実感させられたことも多い。まげようとするとポキッと折れてしまう木にあたったことがあった。せっかく切った大きな枝が、落としたとたんにバラバラになってしまったというのはスリランカでのことだった。皮をむくと白く美しい木が、釘を打つ穴をあけようと、ドリルで穴をあけるとき、その刃の摩擦で煙があがるほど硬かったこともある。日本からの、脱色して着色したシダを作品にいれ、次の日いってみて驚いたこともある。シダはすべてはりを失ってダラリとたれさがっていた。その土地の湿気が原因だった。
仏教の影響、日本人のものの考え方、文化の特性など、日本で花をいけることがこんなに発達し、芸術にまで高められた理由はいろいろとあげられる。
けれども日本のいけばなは、その技術をしっかりとうけとめる花材の性質や、それを生む風土に恵まれているということもあるだろう。技術のほうは人間の努力の問題であるが、花材の性質は自然が与えるものである。私たちは、それらから与えられている幸せを見過ごしにしているのではないか。
チリの水は、私に実にさまざまなことを考えさせ、何げなく過ごしてきたものを改めてみつめなおす機会を与えてくれたのだった。
公邸でのサヨナラ・カクテルパーティーでは、いけばなをぜひ習いたいという声がおもいがけずたくさんあがった。大使夫人のはからいで、翌月から講習会が開かれることになった。先生にはB夫人が選ばれることに決まった。それは私にとって、何よりうれしいニュースだった。
ここを出ると、次の訪問国はウルグアイであり、紛争中のアルゼンチンにもう一歩近づくのだ。
どんな花材や花器が私たちを待っているのだろうか。そしてどんな人たちが。その町の、その土地の花材と人々と気候に対して、感覚のアンテナをピンとはってあらたに仕事をしなければならない。
この都市で積み上げたデモンストレーションへの道すじは、すべてまたふりだしにもどる。
そして私たちの旅も、折り返し点をまがろうとしているのだった。
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