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南米いけばなの旅

花の旅 10

 日本人一般の昔からの性質を考えると、このデモンストレーションという表現にはどうも不思議な感じがつきまとうのだ。
 デモンストレーションに「いけばなの」とただし書きがつくときには、この英語に相当する正確な訳語がない。辞典をひけば、実演という言葉もあるにはあるが、「いけばなの実演」というのは、適当ではないような気がする。とすれば、その形態は昔から日本にあったものではないということになるだろう。
 これを日本で一番はじめに行ったという記録はないだろうか。いったい、だれがしたのだろうか。華道史をいろいろと調べてみたのだが、これだという決定的なものはわからなかった。日本でいけばなを習った外国人が、デモンストレーションという形式で、自分の国の人々にみせたということなら十分考えられる。フローラルデザインの世界にはこういう形式が前からあるというのだ。
 戦後、いけばなの各流派の家元や先生がアメリカやヨーロッパに渡った。彼らはその訪問先でフラワーショーや花のコンテスト、そのほか花に関する行事に、さかんに招かれたという記録がある。いけばなのデモンストレーションがわが国で記録にあらわれるのは、調べたかぎりでは戦後からである。いずれにしてもいけばなという日本のものを、デモンストレーションという西欧の方法で紹介するこのスタイルは、いけばなと欧米との接触や交流のなかに生まれたものといってまずまちがいないだろう。
 いけばなは、発生当初からさまざまな外国の文化との接触によって触発され、育ってきた。いけばな自体が、渡来した宗教である仏教の仏像の前に捧げられた花が発展したものだという。またその後も、大陸文化の影響をうけて変わっていく建築や、そして船でもたらされた数々の絵や花瓶などの、いわゆる船載文物がいけばなに大きな影響を与え、変化させてきた。
 そしてこんにち、いけばなのデモンストレーションという形式が、かりに、外国のフラワーデザインのブーケやアレンジメントの作りかたをみせる方法から影響をうけてなりたっているとすれば、私たちはまたしても、日本が海外の文化や風俗をたくみにとりいれて、日本のものとして同化させようとしているその過程に立ち会っているのだとは考えられないだろうか。
 それを考えれば、いけばなそのものもこれからますます変化していくだろうし、そのなかで、デモンストレーションの形態も、当然、多様化していくだろう。
 
 デモンストレーションに多様な形態があり得るということは、南米では南米なりのデモンストレーションを精いっぱいすればいいということだ。それはうらがえせば、南米でしかできないデモンストレーションをするということだ。それをどう実際のものにするか。それは行ってみなければわからないことだ。

 
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