「花材」求める目―― ペルー 8
第二回目のデモンストレーションは、一般の人を対象にして行なわれた。朝、放映されたテレビで一日前の催しを見たという人たちなどで、定員二百五十名ほどの日秘文化センターがいっぱいになった。このデモンストレーションでは四日前に発ってきた東京の話もした。四日しかたっていないのに、私には、それはずいぶん前の話のように聞こえるのだった。このデモンストレーションは一回目に比べると、いくらか落ちついてできたように思う。観客の表情も見え、話にうなずいたり、反応している人の顔も見えた。一回目のデモンストレーションから、多くのものをうけとったことを、私は十二作の作品をいけながら実感したのだった。
ペルー滞在の最後の夜は、大使館の天皇誕生日のレセプションに招待されていて、パーティーのはじまる前に、テーブルの上に四方正面の作品をいけることになっていた。私たちはピンクのグラジオラスを三十本ほど使い、公邸の庭から切ってきた大きな木の枝で、高さ、左右、奥行きとも一・五メートルほどの作品をダイナミックに構成した。そのうちに公邸には、日本にかかわりのある個人、会社、機関などのカードを添えた大小、色とりどりのフラワーアレンジメントが次から次へと届けられ、各部屋が花にうまった。庭のテントの下ではカクテルの係、料理の係の人が忙しく働いていた。
日本の首相がペルーを訪れることになっていることもあるのかもしれないが、その晩のパーティーには、リマの主だった人たちが集まっているようだった。
日本からペルーに輸出されているのは、車や水産、電気関係のものが主になっているが、そのほかにさまざまな産業がペルーと日本を結んでいる。ペルーの共同事業や、ペルーのプロジェクトの資金協力も行っているという。また、ペルーからは鉄鉱石、銅亜鉛鉱石、金属地金などが日本に輸出されている。
招待者には日本の企業の人々も大勢いて、そのなかで思いがけなく小学校から大学まで一緒だった同級生に会って旧交を温めたり、日本にこれから行くという人とのあいだで、日本の気候のことが話題になったりした。芝生をうめた人たちのなかに、N氏のスペイン人の可愛らしい奥さんもいた。彼女がまだ経験したことのない、日本のさまざまな生活の話に花が咲いたが、彼女は明るいきれいな声でスペイン語を話した。それを夜の光のなかで聞いているのは気持ちがよかった。
しかし同じ南米大陸のなかでも、四月はじめに起きた、フォークランド諸島をめぐる領有権の争いは、当事国のアルゼンチン、英国ともにゆずらず、紛争は拡大する様相をみせていた。スケジュールでは、私たちの訪問先にアルゼンチンの首都、ブエノスアイレスも入っていたが、それはいつ変更もしくは中止になるかわからなかった。どうなるのだろうか。日本から、あるいは在アルゼンチンの日本大使館から連絡は入っていないという。そんなことと一カ国目の仕事が終わったというほっとした気持ち、それに時差の影響がいまになって出てきたのだろうか、少しぼんやりしながら、手にしたカクテルのグラスを「きのうデモンストレーション見ましたよ」と話しかけてくる人たちとともに何度もあげた。
「あのね、もしもしこんばんは」
ふり返ると白人の中年女性が手をさしだしていた。
「あ、ブエノス、タルデス、こんばんわ」
「あなたスペイン語は?」
「ほんの少し」
この人もデモンストレーションの感想をきかせに来てくれた一人だった。
「私は花の専門家ではないけれど、お花はとても好きよ。きのうのデモンストレーション、もちろん見ましたよ」そして彼女は、ポチャッとした手を胸の前であわせて言った。
「あのとき、葉を切ったり、まるめたり、セロテープやホッチキスを使って、おもしろい形にしたでしょ? さっそく家で孫としてみたの、楽しくて、二人で時のたつのも忘れたわ。日本人て、何て楽しいことを考えるんでしょ!」
きのうのデモンストレーションで知ったものを、実際に行動にうつしてくれたことを知って、私はうれしかった。ささいなことであっても、私が行なったことが、このような形で人に伝わっていき、うけいれられる。何かが伝わったという、かすかな手ごたえが私に満足感を与えてくれるのだった。
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