雲の上のデモンストレーション―― ボリヴィア 2
荷物を部屋におき、五人はホテルのコーヒーショップでこの五日間のスケジュールについて話をした。出てきた紅茶茶碗が異様に厚いのは、中のものが冷めにくいようにという、高地の人々の心づかいなのだろう。紅茶を一口飲んだ私にO氏は言った。
「これからまず会場におつれしますが、明日は日曜で店は休みの所が多いですし、先生がまず高地の状態になれることが何より大切です。明日はどうぞゆっくり休養なさってください」
旅をしていると曜日がわからなくなるが、明日は日曜だったのか。大使館の人たちにも迷惑はかけたくない。町はたいして大きくなさそうだ。明日は私たち二人でこの近くを歩いてみれば、デモンストレーションに使う変わった花器や、花器に使えそうなものや、思いがけない素材がみつかるかもしれない。ついでに美術館ものぞこう。
「ありがとうございます。花器も見たいし、町に出れば、花器のかわりになりそうなものがみつかるかもしれませんね。そして美術館でものぞいてみますわ」
「あ、美術館ですかあ。実はこの三年ほど閉鎖されたままでして……」
O氏は意表をつかれたという声を出した。
「え! 閉まっているのですか? 美術館が?」
何しろ収蔵品が多くて整理がつかないのだ、とO氏は説明する。しかし、首都の美術館である。こんな場合、日本だったらどうするだろうか。おそらく多くの人数を投入してでも開けておくだろう。外国から来る人への面子にかけても。軍事政権下にあることも大いに影響しているのか、またそこまで手がまわりかねるのか、あるいはどうでもいいこととかたづけられているのか、整理に本格的にとりかかれるまで待っているのだろうか。
「お店が閉まっているなら、もちろん花市場もお休みでしょうねぇ?」
どんな大変なスケジュールであっても、平地でなら仕事の予想はつく。しかし高地で花をいけるというのは経験したことがないので、予期せぬことが待っているかもしれない。万事のんびりの南米といえども、何ごとも早目にしとくのにかぎる……。用意は周到に。それは土地の高低にかかわらず貫かなければならない原則だ。
O氏は、
「お花屋さんの店は閉まっていますが、市場は日曜でもやっています。花市場も開かれているかもしれないなあ。確かめてみます」
と言った。それなら、花材も、もちのよいものは買っておこうと私たちは話しあい、予定にしたがって坂の途中にある、今回の会場となる日会会館にむけ出発したのだった。
朝、目が覚めると軽い頭痛がした。気圧の関係で、平地より胃に負担がかかるというので、朝食はトースト一枚と紅茶だけにした。
ラパスの花市場は、ホテルよりさらに高い所にあるという。私たちをのせた車はきのうの道を、こんどはぐるぐると登っていく。中心街と思えるところも道路自体は広いが、かすかに傾斜しているのがわかる。石畳がほとんどだ。
町の人たちで混みあうマーケットに着く。食料品、インディオのスカートやショールをはじめとする衣類、かご、そのほかの台所用品、雑貨などが売られている。そこで、水をはって花材をつけておくポリバケツの追加分を四個、車のトランクにつめこむ。市場はかなりにぎわっていて、インディオたちが買いものに来ている。私たちは案内役のNさんと離れないように歩く。何か花器になりそうな、おもしろいものはないかとあたりを見まわしながら、人にぶつかったり、押したり押されたりして市場のなかを進む。
見たこともない色調、人々の体臭、何かわからない食べ物の匂い。耳になじみのない話し声。何に使用するのか判然としないさまざまなもの。ガイドブックにはおまじないの道具とか、お守りのためのリャマの胎児も売られていると書いてあったが、さてどれだろう……。市場の雑踏のなかを歩いているうちに、私のまわりでそのわからない匂いがゆっくりと動きだした。それがやがて一つにまとまってきたと思ったとき、自分の顔から急に血の気がひいていくのがわかった。体が冷たくなっていくようだった。急いで市場の外に出たが、その場には立っていられず、座りこんでしまった。
「これはホテルに帰らないと」
私の頭の上でO氏が言うのに、反論する気分になれなかった。車はまた螺旋状の道を、今度は心もちゆっくり下りだしたのだった。
二十分後、ホテルの部屋に酸素ボンベを運んでもらい、ベッドに横になって酸素を吸う。ここ数年、ここにはいけばな使節の巡回がなかったという意味が理解できた。健康な人でないと、とてもこの高さにはすぐに適応できないだろうし、まして短期間に仕事をするとなれば、想像もできない多くの困難にぶつかるだろう。私は幸い、健康は大丈夫だとみられたのかどうか、この地を踏むことができた。だからこそがんばらねば、という気負いが裏目に出てしまった。不覚だった。ここには、ここのやりかたがあるにちがいないのだ。酸素が平地の六割しかないという事実がいま、身をもって理解できた。
だが、いったいだれが、何を好き好んでこんな高い所を首都にしたんだろう。それがたとえ「事実上の」首都であるにしても。落ちついてくると、私をこんな状態に陥らせているこの国の歴史に疑問がわいてきて、酸素マスクをおさえながらベッドの上に起きあがり、ガイドブックをひろげる。
この場所を選定したのは、スペイン人だった。彼らの植民地の通行路に近いし、またこの谷はアルチプラノ高原からの強風が避けられる位置にあるからだという。しかし、私はこれだけの理由では十分な説得性がないように感じた。そしてさらにガイドブックのページをめくったが、仕事はそこで中断、また酸素をあてベッドに横になる。明日の花材採集のためには、早く回復しなければならないと思ったこともあるが、「高地では頭の回転もにぶります」と言われたことを思い出したからだった。
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