雲の上のデモンストレーション―― ボリヴィア 3
大使に表敬訪問に行き、その帰り、大使夫人にごあいさつのために公邸に行く。公邸は、大使館からさらに数百メートル下ったところにある。同じ市内でも標高差が七百メートル、それも豊かな人々の家ほど低い所にあるという。日本の「高台、眺めよし」という不動産屋の広告文は、ここでは通用しないということなのだ。車が道路を一つまがると、大きな屋敷の並ぶ通りに入る。木々のなかにひっそりとたたずむ、そんな建物のなかの一つの、レースのような鉄のドアが公邸への入り口だった。背後にはピンクの地肌をみせる荒けずりの山がひかえる。
「大丈夫ですか?」
グレーの髪の美しい大使夫人が、私の顔をのぞきこむように尋ねる。
「どうぞよろしくお願いします。日本からラパスへのいけばなの使節は四年半ぶりですのよ。いけばな人口は多くありませんが、なさっている方はとてもお目が高くていらっしゃいますの」
きのうのフラフラ状態を思い出せば、ここで胸をたたいておまかせあれ、とはとても言えないし、「大丈夫?」という問いのなかには腕のことも含まれているのではなかろうか、などと酸素のまわっていない頭は思ってしまう。すっかりよくなったとはいえ、あのフラフラ状態にもどりはしないだろうか、という不安も残っている。
「精いっぱいさせていただきます」
というのが私から出た言葉だった。
「公邸では、あまり花材になるものはありませんでしょう?」
大使夫人のあとについて庭を歩きながら、私たちは花材になりそうなものをさがした。リマではずいぶん公邸から花材を切ってきた。しかしここは様子がちがう。あじさいはまだ三十センチの高さにもならず、つたもやっと柱にはいあがってきたようにみえた。それをいただきますとはさすがに言いかねたし、たとえそれを切っても、はたして効果的な使いかたができるかどうかを考えると、遠慮せざるを得なかった。わずかに何種類かの杉が、いい花材になりそうだった。
ほんの一時間半飛行機にのっただけで、植物の形態ががらりと変わっている。だが広大な南米の地図を思い描けば、それはあたりまえのことなのだ。大使館の予定表によると、これから日本庭園と公園、花市場と花屋さんをまわることになっているが、花は花市場があるから心配することはないとして、枝ものはどのくらい集まるだろうか。いざとなったら花だけでもできるのがいけばなではないか、と思ってはみるものの、やはりこの調子だと計画を元から変えなければならないと私は覚悟を決めた。
いけばなは、どんな花材でもなんとかできるのだと思ったのは「東京では」というただし書きがついてのことだった。それがむずかしい所では、点数もあくまで数作に限るべきなのだろう。私がここでしようと考えているデモンストレーションのように、十作以上をみせようとするなら、そこには当然、作品の大小をはじめとするリズムとアクセントが必要になる。だから、その成否は、花材におおいにかかってくるのだ。この旅のあとで訪れたタイのバンコックでは、朝三時半に起き、星の出ている道をドライブして花市場に連れていってもらった。早く起きるのはつらかったが、大量の蘭は、東京の値段の十分の一にもならなかった。努力しさえすれば手に入るということは幸せだった。
ボリヴィアのラパスでは枝ものが手に入らない。グリーンのものがあっても使えない。さあどうしようと思っていると、大使夫人が、
「何といっても枝ものはユンガスにあると思いますの。ここからもう少し下ったところです」
ユンガス峠? それはどこにあっただろうか。そんな私たちの表情を見て大使夫人は、ここから数時間下ると密林地帯に入り、そこにはこんな様子で樹木が生育していてと、くわしく教えてくださる。ユンガスはラパスの北東の位置にあり、この地帯はレアル山脈のふもとへずっとのびているのであった。
要するに大使夫人みずから、私たちのかわりにそこに花材採集にでかけようとしている。そのことがようやく理解できたときは、二人ともあわてた。
「とんでもございません。きょうはもう元気になりましたし、私たちがうかがいます」
つづいて市瀬さんも言う。
「福島はそうでしたが、私は何ともないのでうかがいます。大丈夫ですから」
「今朝起きたときは、何ともなく、すっかりよくなりました」
「いいえ、いくら気分がよろしくても、注意なさらないと。一昨日ここに到着なさった先生方は、この高さに体がすっかりなれるのには時間がかかります。高山病も、デモンストレーションの当日高熱でも出たら大変ですわ。ここは何しろふつうの所とはちがいますから。なれている私たちにおまかせください。そのかわり公演と花市場のほうはよろしく。町の花屋さんでしたらお花はいいのが手に入ると思いますよ」
そういう間に、大使夫人は出発の手はずを整える。コックさんがきょうは病気なので、と自分でおにぎりをにぎっていたかと思うと、ブラウスとパンタロンに着替え、この館のボーイのフェルミン君にステーションワゴンを出させる。用意されていたのこぎりやはさみが積みこまれるのを見ながら、これは私の高山病のことを聞いたときから、大使夫人が計画してくださっていたことだと理解できた。私服のフェルミン君はニコニコして運転席にすべりこむ。
若い奥様がもう一人お手伝いくださるのでご心配なく、それではのちほど、という言葉を残し、大使夫人は車を出発させていった。
大使夫人が、ユンガスの花材をとりにいらしてくださる。予期せぬ展開になった私の気持ちは複雑だった。
「きょうなおるとわかってたら、高山病でも無理して私たちで花材をとりにいったのに……」
と言っても遅かった。時間はどんどん過ぎていく。
「起こったことは起こったこと。しかたないじゃないの。ともかく、次に行きましょう」
当初の予定どおりに公園、日本庭園に行き、杉やトトゥラを採集する。すっとした直線を見せるトトゥラは日本のふといに似ている。しかしふといは丸いが、トトゥラには角がある。いい花材になるだろう。
きのう行ったマーケットにもどり、かごを買う。日本の、一昔前の買いものかごのような形で、ピンクや赤、黄の色がついている。もうひとつ、マーケットのわきで、やはりきのう見ておいた大きなかめを、日本円にして二千円くらいで手にいれる。高さが六十センチくらいで、腰高のいいカーブをもっている。いかにも生活用具の使いやすさを感じさせる。
店のかまえもない青空市場。そこにかまどが設置され、そこから数メートルしか離れていないここで、焼きあがったばかりのものがいくつか並べて売られているのだ。こんな場所で作られている品に対して、何だか心もとない気もしてくる。
「いちおう水がめなんでしょうね。でも本当に水もれは大丈夫なのかしら。おとしでも入れたほうが安全みたいね」
と言っていると、近くに座りこんで世間話をしていたようなおばさんたちが、「ノ、ノ。もらないよ、絶対に」と口々に言う。生活のにおいがしみついたインディオの女性たちの言葉にはたくましさがこもっていて、私たちはその迫力に十分信用ができるものを感じた。そしてそれはあたっていた。
花市場をまわり、花屋にも寄って会場の日会会館に着くと、ちょうどユンガスから帰ったステーションワゴンから、花材がおろされているところだった。バンやトラックからみればはるかに小さいあの車に、よくこれだけ入っていたものだと、次々と引きだされてくる材料に驚く。屋根にも二メートルほどの枯れ木がしばりつけられている。黄色い小さな実をつけた大きな広がりをもった枝。赤い実をつけた木は日本にも似たものがあった。笹は水あげをしても、明日には乾いてしまうかもしれない。しかしそれはそれでほかの花材と組み合わせて、色や形をおもしろくみせることができる。まだ葉のついているなまのつるものも見える。可憐な紫の花は明日まで新鮮さを保つだろうか。
ともかくこれで一安心だ。花材がそろったのを眼の前にして、やっとデモンストレーションの第一段階にきたとホッとする。
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