時分の花― アルゼンチン 5
デモンストレーションの前後に、公邸で二回にわたって講習会が開かれた。各回とも三十名近い婦人たちが集まった。官僚の婦人もなかに何人かまじっているといわれ、私は驚いた。大使館で招待状を出したのは、この紛争の起きるずっと前だった。一度出したものだけに招待者たちに、まさかいまさらおいでいただかなくても結構ですということも言えず、どうしたものなのか、本当に参加するのかどうか、ふたをあけるまでわからなかったらしい。私たちは見本をいける簡単なデモンストレーションをした。そしてその後参加者は、各自まさきに似た枝と、ピンクの菊を使って基本の型をいけた。はじめていけばなをする人々が大部分のこの講習会では、枝がとまらない、短く切りすぎた、この枝はここでいいのかなどの質問があいつぎ、私たちだけでなく、大使夫人、各夫人方までがあちこちと手助けにかけつけるというありさまだった。
その感想のなかで、
「こんなにたくさんの人たちと一緒に、一斉に花をいけるなんてはじめてでした」
とある婦人が言ったことが私の心に残った。
日本のいけばなの研究会、または大教室での講習会、会社でも団体げいこなど、そういう場面を見慣れていない人には、花をいけるという行為はごく私的なものと思われているかもしれない。
各個人が、基本的には自分の世界を追求しつつ作品をいけている。しかし距離的にはお互いが大変近くにいる。心理的な余裕が出てくれば、となりと似てしまうのはいやだなあなどと思ったり、きょうはまあまあの出来とひそかに思ったとしても、やはり両どなりを気にかけたりする。
知らず知らずのうちに視線の流れを気にしていたりもする。展覧会でも、自分の作品がおかれる位置やその前後の作品の傾向を考える。ここのコーナーから次にいくと自分の作品があり、ここでパッと感じが変わるから、この流れはよい、と一人で納得することもある。つねに何らかの形で相手を意識しているわけだ。
個人が製作する一つの作品のなかでも、それぞれがある表情と自己主張をもった花材のどれをどうとりあげていくかという葛藤が連続する。一人の作者のなかにさまざまな意見を言う声と、その意見を聞く耳がある。作品をつねに冷静に見つめる観客と、情熱をこめて舞う演者が、お互いを刺激しあってことが進んでいく。自分一人のなかでも私たちはいつも「競作」をしているのだ。
演者の投げかけるものに対しての反応、その反応に対しての演者のありかたといったものを考えると、私にはさらにひとつの興味深い言葉が思い浮かんでくる。それは「とりあい」という言葉である。そしてその言葉がとくに気になりだしたのは、ブエノスアイレス郊外のエスコバールにあるHさんの庭を訪れたときのことだった。
その日はブエノスアイレス郊外のエスコバールという町の、それも個人宅で花材採集をするというスケジュールが知らされていた。
春には花祭りも開かれているエスコバールは、花の町として知られ、日本庭園もあり、日本との関係も深いという。
ブエノスアイレスの中心から、南米を縦断しているパンアメリカン・ハイウェイを四十五分くらい行ったところにあるその町のH氏宅が、花材採集の目的地である。
アルゼンチンの花の多くは日系人がつくっているとも聞いていた。どんな枝があるかと楽しみに気持ちのよいドライブをする。
やがてハイウェイから少しはずれて、エスコバール市に入る。ビルとビルの接しているブエノスアイレスの中心街に比べれば、静かで緑が多い町である。やがて車はある門の前でとまった。
松や竹や、ブーゲンビリアの木が茂っている庭に入っていくと、もう髪は白いが健康そうなH氏が、ようこそとにこやかに出迎えてくれる。H氏の住まいは平屋で、後ろに広がる広大な庭のなかにそれがチョコンと建っている。というように見える。悠々自適といった言葉があいそうなH氏は、これも白髪の美しい夫人と庭のほうへ案内してくれる。
広い敷地は、子供たちがかくれんぼや鬼ごっこに夕暮れまでかけまわっても大丈夫というスケールのようだ。あちこちにはブーゲンビリアの大木の枝がさがっていたり、杉のひとかかえもあるものがぽつんと立っていたり、何本かの大王松が並べて植えられたりしていて、木ものびのびと育っている。ところどころに水がわいていて、歩くとズブズブぬかるみに足をとられる。何人かが切った花をすぐに水につけるため、バケツに水をくみにいっているあいだ、私たちが灰色の杉のような木を花材にどうか、と話をしていると、
「使いますか? これもどうぞ! いくらでも切ってくださいよ」
と、チェックのしゃれたシャツを着たH氏がはさみとのこぎりをもってきてくれる。私たちはやしの木に黄色い花をみつけた。大使館の車を運転してきたIさんが、H氏の手製らしいはしごを木にかけ、やしの木にあがっていって切ってくれる。のこぎりをひきだすと、ほこりやごみや黄色くなった葉が一度にバラバラと落ちてきて、はしごをおさえていた私たちは、思わず首をすくめる。Iさんは何かのとげをさしたらしく、指をなめながらそれでもしっかりと黄色い花を持っておりてきてくれた。H氏はやがて、日本ふうの木の門にある一隅に私たちを連れていってくれた。門の前でたちどまりH氏は言った。
「ここは日本庭園です。実は……高松の栗林公園を思い出してつくりました……」
功なり名遂げたという風格の、白髪のH氏はそう言って一瞬少年のようにはにかんだ。
私たちは門の横のくぐり戸から次々に背をかがめてなかに入った。
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