時分の花― アルゼンチン 8
ある国でのデモンストレーションのとき、みつまた、という脱色した花材を使った。いけばながあまり紹介されていないあるアジアの国だったが、人々の関心はとても高かった。私がデモンストレーションで使う言葉が英語でよいといわれたこともあって、スムーズにはじまったデモンストレーションだった。
みつまたは紙の原料になるが、いま花材として使用するものは、皮をむいた枝をかわかし、脱色したものだと説明した。みつまたは軽いものだ。まずはじめに、その一本を力をこめて剣山にさした。ところがそのみつまたは、手をはなしたとたん徐々に前に傾きかけた。
「これはみつまたといいまして、自然のものをかわかして脱色させております。日本から持ってまいりまして、はじめて皆さまにお目みえしたものですから、ごあいさつをしております」
必死でみつけた言いわけだった。
「イン、ジャパニーズ、ウェイ」(日本式にね)
最前列から声があがった。
「はい、そうですね」
皆が笑った。かたずをのんで私の手元を見ていた人たちの緊張がほぐれた。私も笑った。
観客に助けられたと思った。
観客がプログラムを前に進めてくれた。
観客が演者になり、演者が観客になって、互いの立場がその瞬間逆転した。
いけばなをはじめて以来、みつまたという花材を何度いけたことだろうと、私は反省した。すっかり扱いなれていたはずのみつまたが、私を窮地に陥れた。みつまたの、枝に含まれる水分がすっかりなくなってしまっていたのだ。
そういう反省とともに、デモンストレーションは一人ではできないものであり、対する相手がどんなに重要であるかということも、このとき改めて考えさせられたのだった。「座敷をかねて見るとは」と、世阿弥はその演能の当日観客がどういった雰囲気をかもしだしているかをよく見ること、貴人が臨席の場合はどうのぞむか、といったことをのべている。しかし実際の場に立ったときは、勘とかタイミングとかいう、計算することのできない何かが必要とされるわけである。それは能にしてもいけばなのデモンストレーションにしても同じだろう。
アルゼンチンのデモンストレーションの最後は大きな作品にした。天井の高さがあまりなかったので、高さは一メートル八十くらい。そのかわり大王松をいれて左右に出し二・五メートルの幅にした。時間がかかり観客が退屈してしまわないように、ある程度まで手をいれた花材を用意しておいた。
この会場の大きさなら、作品のサイズはどんなものがいいか。そのサイズでつくるには、時間がどれくらいかかるのか。もし長くかかりそうだったら、あらかじめどのくらいまでつくっておくか。それなら、プログラムのなかで、一番あとに製作すべきではないか。するとその前は、あまり時間をとらない手軽なものにしたほうがアクセントがついていいのではないか……。あたりまえのような一つ一つの事項。いままでも無意識のうちにそういうことに気をつけていたのかもしれない。それがいまは、私には何かあらたな事柄のように、そしてそれぞれが関連しあっている重要な要素のように思えてくるのだった。AとBの関係からCが生まれ、そこにDがかかわってくる。
エスコバールの庭で、私は日本の造形空間をなりたたせているものを思った。日本の庭をなりたたせている要素を、日本に帰ったら注意深く見なおしてみたいと考えた。茶室の構成だけでなく、日本建築のなかでの各部分を「とりあい」という見地からみて歩きたいと思った。また私の関係しているいけばなの、とくに現代の表現において、どんな「とりあい」がなされているか。そして、いけばなのデモンストレーションのなかでは、それはどうなのか、改めて考え直してみたいと思った。
「とりあい」がなされる。そこには水面に波紋が伝わっていくように動きが、そして流れが発生することだ。
地球の裏側で、私の心のなかで気になりだしたいけばなの花伝書の中の「とりあい」という言葉。
残すところは、もう一カ国。その国でのデモンストレーションではどんな「とりあい」が展開されるのだろうか。
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