花の旅 3
やっと仕事が終わったという感じが、車窓から町をながめているうち、私のなかに少しずつわいてきた。細かいことは別にして、ともかく無事に終わった。それが喜ばしかった。とくに今回は、いけばなのデモンストレーションで、はじめてアンコールを経験した。それがおもしろく思えた。舞踊のリサイタルや音楽のコンサートで、最後に私自身も手をたたき、アンコールを要求した経験はあるが、いけばなのデモンストレーションで、自分がアンコールをされるという立場になったのははじめてだった。
終わってみれば、たった一時間半のデモンストレーションではあったが、私たちはこのためにニュージーランドのオークランドから着き、二日間、準備に使った。フィリピン側の人たち、日本側の人たちの手紙のやりとりからの準備を含めると、この一時間半のために、半年以上か、もっと長い時間がかけられたことになる。マニラに到着以来、花屋で花材を見て、会場の下見に行き、個人宅で枝を切らせてもらうという準備からはじめた私たちの二日間は、いつものように短すぎるように感じられるのだった。
日ごろ、泥棒やたかり、ゆすり、スリが横行し、いまでは観光客にはすすめられないという市場にも行った。私たちは、デモンストレーションで花材や花器が用途ではないが、その代わりにもなって、現地の人がいけばなにさらに親しみを感じてくれるものがみつからないかと、連れていってもらったのだ。十分気をつけるという約束のとおり、私はバッグを幼稚園児よろしく肩から前にかけ、N君の片腕を本人が痛がるほどつかみ、目をキョロキョロさせて、人をかきわけながら、案内してくれた人のあとを早足で歩いた。この市場の隅でみつけた直径四十センチほどの竹のザルが、デモンストレーションで花器に使えたときはうれしかった。四十センチほどの筒状の花器の上に、一つのザルを固定し、もう一つを伏せ、そのあいだからカラフルな葉を出すと、ユーモラスな形態になった。
だが、すべては終わったのだ。私はぼんやりと思う。こんな大変なときに、こんな思いをして、花をいけて人にみせるということ。何か起こるかもしれない国や街でいけばなをいけるということ。それはある人にとって、まったく理解しがたいことなのかもしれない。たかがいけばな、明日はしおれてしまうかもしれない花を、汗びっしょりになり、ときには危険を感じながらいけてみせること。それも外国で。
アジア、アメリカ、ヨーロッパ、オセアニア。
いけばな関係で訪れた国の数もずいぶんになる。家元や先輩の先生に随行した数をのぞいても、講師として全責任を負って旅をすることを何度か経験してきた。それぞれの街の、一つ一つのデモンストレーションにさまざまな思いが残る。しかし私のいけばなのデモンストレーションの旅の原点は、何といっても南米にあるのだ。南アメリカへのはじめての旅。それが五週間のいけばなの旅だった。そしてその旅が私にもたらしたものは大きかった。 |