花の旅 5
私はいけばなを職業としている。
定期的に会社やギャラリーに花をいけたり、学校の課外授業でいけばなを教えている。東京の六本木で外国人を対象とした教室をひらいてもいる。
外国人にいけばなを教えはじめたのは、大学を出てまもなくのことだった。
はじめから六本木という外国人の集まってくる場所に教室がもてたのは幸運だった。
新しいクラスをはじめることが決定したとき、まず生徒をどうして集めようかと考えた。友人のつてをたよって東京在住の外国人の名簿を作り、案内状を出した。こんなことで人が集まるだろうかと不安はあった。ところが開講日に見ず知らずの外国人女性が、朝は二人、午後は別々に三人と六本木の教室に訪ねてきた。
二十代の先生という私の年齢はいっこうに気にせず、この日を機にして週に一度、彼女たちはいけばなを楽しんでくれるようになった。
「らいでんぼくの枝とこういうふうに組み合わせると、バラの一輪一輪も、こんなに表情がちがってみえるのね」
講評のあと、オーストラリアの主婦はそんな感想をもらした。
「きれい、とても。自分がいけたなんて信じられない」
と言ってくれたのは、結婚してすぐ夫君と日本に来たカリフォルニアの奥さまだった。
「花は、必ずしも多く使ったから美しいというわけでもないのね。いけばなって経済的なのね」
とうなずいたイギリス人女性は、後にいけばなの先生となって活躍している。日本人でも同じ感想をもつ人は多いだろう。しかし英語というはっきりした言葉での、その反応のかえりかたを私は気持ちよく感じたものだった。
そのうち、国際会議の参加者たちの夫人にいけばなをみせてほしいという話があった。ご主人が会議をしているあいだ、夫人たちは別室でいけばなのレッスンをする。会議が終わって出てくると、ロビーに各夫人のレッスンの成果が飾ってあるという趣向は好評だった。
「なかなかアーチストじゃないか。A夫人は」
「まあ、B教授の奥さんの作品ですってよ」
「おめでとう。Y夫人の研究発表ですね、これは」
季節の花をいけた作品の前で、各国の人たちのあいだに話題の花が咲き、会議が終わるまで、夫人たちのいけばなはそこに飾られ、私はその手入れにもう二日、通うことになった。
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