花の旅 6
それから何年もたたないうち、友人と遊びにいったインドで、ボンベイに住んでいる二人の共通の友人の家で、ある日、庭から花や枝を切っていけてあげた。それを見たこの家のお客さまの依頼で、二日後、思いがけず、デモンストレーションをすることになった。そのときの友人が後に私のいけばなの生徒となった、今度同行する市瀬淑子さんである。ボンベイの街中にある邸宅の二階でのデモンストレーションには、次から次とサリーの夫人たちが集まり、床に座った。五十人ほどの彼女たちの重みで床がぬけないだろうかと、私は真剣に心配した。バラや小菊、グラジオラス、アスター、マリーゴールドのような花などと、庭からの木を一緒に使った。バラは短くまがっていてとげが多かったが、香りは甘かった。
「いけばなって日本ではどんな人が習っているのですか?」
「何年くらい習うのですか?」
「先生になるにはどうしたらいいのですか?」
「インドでも勉強できますか?」
たった数作いけただけなのに、質問がつづいた。知っているかぎりのことを私はていねいに答えた。もっとたくさんの外国の人に日本のいけばなを知ってほしいと、私は思った。そしていろいろな国で、その国に咲いている花をいけてみたい、そんな漠然とした思いは、いつの間にか大きくふくらんでいったのだ。しかし、私にとってそれは夢のまた夢。夢だからこそ、無限にひろがっていくのだった。だから、そんな思いがこんなにも早いうちに実現するとは、思ってもみないことだったのである。
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