花の旅 7
二月のある日、私の属している流派の海外部の先生から電話があり、南米行きの話を聞かされたときの驚きは、ここ数年経験したことのないものだった。
「国際交流基金の依頼で、日数は三十五日くらい。仕事の内容はデモンストレーションと講習会。本部でいろいろと検討した結果、あなたではどうかということになったのよ」
インドでのデモンストレーションのように、何の準備も道具もないということが前提で、花材もとりあえず手に入る範囲内、しかも私的なもの、というのなら、かりにうまくいかなくても言いわけの一つも言えそうな気がする。しかし今度は公式な使節である。一流派の代表というより、いけばなという芸術をもつ日本の国を背負っていかなければならないのだ。できるだろうかと私は考えこんでしまった。しかも返事は早くしなければならない。だが、行き先の南米のペルー、ボリヴィア、チリ、ウルグアイ、アルゼンチン、パラグアイという国々の名は、実に魅力的に私の耳にひびくのだった。だんだんに、私のなかの好奇心が、頭をもたげてきていた。友人のなかの、南米の人の顔も思い出していた。インディオや大陸の大自然、まだ見ぬ地球の裏側の人やものたち。どんな生活があるのだろう。知らない、見たこともない植物があるにちがいない。ぜひ行かせていただきたい。翌日、私は電話をした。
スケジュールによると、一都市にデモンストレーションと講習会が一回か二回ずつの割合で組みこまれていた。家元や各方面へのあいさつ、そして略歴や報道関係むけの写真を用意したり、前もって送っておく荷物の用意などがはじまると、緊張のあまり胃が痛くなる思いをした。いよいよ南米行きが現実のものとして形をとってきたというのに、夢がかなえられるといううれしさとは反対に、引きうけたことの重大さに、気はますます重くなっていくのだった。この仕事にふさわしかろうと思われる先輩の顔がうかんだ。同輩の顔がちらついた。しかし同行者に市瀬さんが決まってからは、心が少し落ちついてきた。自分の陽気な性格も幸いしたのだろう。
やがて南米の公用語であるスペイン語の教科書を引っぱりだしてきたり、インディオの写真やブエノスアイレスの街の写真など、本屋でさがしてきては読んだ。だが、この地域の情報は、ヨーロッパやアジア、アメリカに比べて驚くほど少なかった。ウルグアイにいたっては一ページもあればいいほうだった。図書館に専門書はあったものの、とりつきにくそうなものばかりだった。そんななかで、先輩にあたる人々が海外で行ったデモンストレーションの報告書がおもしろく思えた。
いつどんな人たちにデモンストレーションをしたか、どんな反応だったか、大使館の人々、その夫人たちの熱心な協力も書かれていた。しかし私は、いけばなが異文化のなかにおかれる現場に立ち会ったこの使節たちが、どんな感想をもったかに一番興味をもった。文化交流というのは一方通行ではない。現場を経験した人が、ときどきもらすエピソードなどにも真剣に耳をかたむけた。「私」はいったいどんな反応に出合い、どんな感想をもち帰るのだろうか。
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