「花材」求める目―― ペルー 6
時間がせまるにつけ、むしょうにのどがかわく。いま一度、どうしてもある所に行きたくなる。帰ってくると、また水が飲みたくなる。T先生、そしてクスコの娘さんが、屏風の裏で待機する。きものの帯にマイクがはさまれる。客席の話し声がさっきより高くなった。人がふえてきたらしい。
「いいですか?そろそろはじめようと思いますが」
「はい、お願いします」
マイクの前に立ったN氏に気づいて、人々は拍手をする。N氏はまず、スペイン語できょう集まってくれたお礼をのべ、日本のいけばなについて簡単な紹介をする。つづいて私たちの紹介にうつる。私たちが、このプログラムのため国際交流基金から派遣されたこと、日本のいけばなの流派のこと、私たちの流派のこと、私たち自身のこと。
そのスピーチを屏風のかげで聞きながら、私は心臓の音も一緒に聞いていた。ああ、とうとうこういうことになった。もう逃げられない。するしかないのだ。私は大学で英語演劇部に属していたが、公演のときは、いつも開演前に幕の後ろでスタッフ、キャストが集まり、お祈りを唱えたものだった。一瞬そんな昔のシーンが頭をよぎる。
N氏のスピーチが終わり、二回目の拍手を聞いてステージにあがる。はじめに目に入ったのは左右からの強いスポットライトの光だった。リハーサルのときより、光は一段と強く思えた。そのため、客席の一人一人の顔がはっきり見えない。そのことが私を落ちつかせた。
「ご来賓の皆さま、ご来場の方々。きょうはお忙しいなかをおこしくださいまして、ありがとうございました。これから、日本のいけばなを、おめにかけたいと存じます」
マイクを通した自分の声はいつもと同じように聞こえた。T先生が訳していく。
「日本のいけばなの歴史は、仏に供える花に、はじまるといわれています。これをもとにしたいけばなの伝統は、二十世紀のいまもつづいています。しかし、何よりいけばながどういうものか、まずはいけておめにかけたいと存じます」
あいさつのあとに一作目をいけはじめた。はさみの音が会場にひびきわたる。彼らは真剣に聞いている。私自身は自分の声を聞いて安心したものの、私と私の手元を見ている観客のほうが、何だか固くなっているように感じた。平たくて指を広げたようなモンステラの葉がもってこられた。蝶が羽根を広げているように切った。二枚の葉を左右に高低をつけていれる。きょうの私のきものの柄も蝶々だった。
「こういう形に切ると蝶々のように見えますね」
言わなくてもいいかなと思ったが、私はつけ加えた。
「私の着ているきものの柄も、そういえば蝶々でした」
そして最後に、
「マリポサ(スペイン語で蝶々)」
と言った。一瞬の後、観客の緊張がふっとやわらいだように思えた。二、三人が途中なのに手をたたいた。バラがいれられ、一作目が完成した。
「バラを使った作品です。いかがでございましょうか」
言い終わるのが早いか、観客から拍手がきた。拍手をしながら、前の人の肩ごしにのぞいたり、のびあがったり、後ろの人は、立ったりして作品を見てくれた。
市瀬さんが、できた作品を、舞台の下のカバーをかけておいてある机の上にのせる。そのあいだに係の大使館の夫人たちが、次の作品のための一人は花器を、一人は花材をもって登場し、テーブルの上におく。机の上の作品をとっていたテレビ局の人たちが、カメラにおさめようと今度はステージ前に移動する。
「さて、今の作品は自由型と申しまして、作者の感性をもとに作られていきます。しかし、こういう表現をするには、やはり基本が必要です。テクニックが必要です。空間をどうしてとらえるかという練習もしなければいけません。はじめて教室に来た皆さまが、まず習う型。次は、これをおめにかけましょう」
前作のほうを見ている人たち、まだその作品の感想をお互いに言いあっている人たちを前に、私はプログラムを次に進めた。それから先は夢中だった。最後の作品のためにとっておいた、一メートル五十センチほどの木が屏風の中から運びだされた。植物園の隅でようやく切らせてもらった木である。赤や白のカーネーションがお盆いっぱいに運びだされると、人々のざわめきは最高潮に達した。白い高さ五十センチほどの口のすぼまった壺にいけた。最後に東京からもってきた、乾燥して着色されたブルーと紫の「ルトジ」を枝にかけた。一メートルほどの、アスパラガスファーンといわれるこの花材は、これからも各国をもってまわる。
「これで、私のデモンストレーションを終わります、ありがとうございました」
と言ったときの拍手は、はじめのそれとは量も質もちがって聞こえた。十二作をいけたとき、一時間二十分が経過していた。
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