雲の上のデモンストレーション―― ボリヴィア 4
会場のホールの一隅で、さっき買ってきた水がめにさっそく枯れ木を組む。それにユンガスからの木も加えてみる。東京からもってきた道具袋の中には、のこぎり、金づち、釘、ワイヤー、華道用針金、ナイフ、テグス、軍手、ガムテープ、セロテープなどが入っている。道具袋の中から金づちを取り出し、釘を打っていると大使館の文化担当のI氏が、
「いけばなといっても、大きなものはこうやって固定するのですね」
とめずらしそうに見にくる。
「僕は昔、大工さんになりたかったので、釘打ちはお手のものでした。そこ持ってましょうか?」
と親切に、木をおさえてくれたりする。
「この場所がいいんじゃないかしら」
などと私たちがかめの位置を移動させて、そこに入っている木を組みなおしていると、
「あ、ここ打つんでしょ。僕やりますよ」
と、どうやら私と同世代でもあるらしい氏は顔を真っ赤にし、ネクタイをスウィングさせながら、
「むむ! このぉ!」
などとつぶやきながら、水気を含んで釘が入りにくい木と格闘してくれる。
何ごとがはじまったのかと、ドアのむこうから顔がのぞく。
赤毛、金髪、黒髪。
「彼らはね、日本語講座の学生たちですよ。この会館では、日本語も教えていて、受講しているのは学生や主婦、そのほか、職業も年齢もさまざまでして」
と、この講座を受け持つO氏は言う。おみやげ屋さんの主人もけっこういるそうだ。おみやげ屋さんの主人というところをみると、この遠い国に日本の観光関係の人たちも注目してきたらしい。
「どう? おもしろいですか?」
同級生が立ち去ったあとも、じっと見ている赤毛の青年がいた。ボクですか、フランス人です。東京にもいましたよ、と日本語で言う。
「ああそう。東京に。それじゃいけばなはよく見たでしょう?」
「見たことはある。でも作るのを見るの、はじめて」
「そう。どうぞごらんになっていてね」
そういって仕事にかかろうとしたが、ふと思いついて彼にはさみを渡した。
「どう? 少しやってみますか?」
私ははさみの使いかたを示した。おぼつかない手つきではさみを持ちながら、彼はしばらくのあいだ、虫食いの葉を切ってくれた。
ボリヴィア全国土のうち居住可能な地域はきわめて少ないという。そしてその限られた場所にはいつも、高度と乾燥という問題がかかわっているのだ。
「たとえば日本からおせんべいを送りますね。太平洋でいったんしけますが、ボリヴィアの山の上にくると乾燥してちょうどよくなります」
南部の場合の話であるが、北は湿潤だそうで、ユンガスから採集してこられた枝や木を見るとそれが理解できた。
ユンガス峠まで出向いて木の枝を採集したというのは、町のなかでは、個人の家を除いて許可なしに木が切れないということもあるからだ。日本でも公園や街路樹は許可なしに切れないのはもちろんだが、海抜三千六百メートルのこの町の木は、成長度が極端に小さいため、ことのほか大事にされるのである。三千メートル級の日本の高山植物のことを考えれば、その伸びかたは容易に想像できる。ここでは、車を街路樹にぶつけて倒してしまったなどというと、目の玉がとびでるような罰金が課せられる。木の成長に対しての代償なのである。
ラパスの町の植物を車窓から見ていて、美しくなびくススキのような穂に気がついた。穂のほっそりしたところや、手のきれそうな葉も日本のススキに近く、日系の人びとはススキと呼んでいるという。
「ススキは木ではないけれど、植物には変わりないからどうなんでしょう。やっぱり許可がいりますか?」
O氏はしばらく考え、場所によっては少しならさしつかえないかもしれませんね、と言う。
車でちょっと出ただけでススキは手に入る。もしできるのなら、明日といわず、きょうじゅうに切ることはできないだろうか。穂を使うのなら、たとえ明日、葉が乾燥してちぢれてしまっても問題ないだろう。私は時計を見た。時間もありそうだった。
ススキがほしいと、私は切り出した。
「ホテルから遠くないところで、ススキの切れるところはないでしょうか」
するとO氏は、
「ちょうどこれから大使夫人を公邸にお送りしてまいりますので、私が切ってきましょう。何本ご入用で?」
「いえ!」
私はO氏をおしとどめんばかりの勢いで辞退した。今度こそ私たちが行かなくてはならない。
「時間もございますし、今度は私たちでまいります。町中でよくみかけますし、この近所にもありますでしょう?」
と言っても、
「いや、ついでですし、大丈夫ですよ」
とニコニコと答える。やりとりを聞いていた人々のなかから、あそこのススキがよかった、いやこちらがよい、という声がかかる。なかから、決定的な声があがる。
「何といっても大統領官邸の裏山がよろしい。あそこが一番きれい」
「そうそう、あそこのススキは銀の穂がなびいているのよね」
大統領官邸! しかしここはボリヴィアなのだ。いまのこの状態だと「官邸裏のススキ」は大きな意味をもつことになるかもしれない。政情不安、そしてとくに警備のきびしい軍政下のボリヴィアの大統領官邸のこと。裏山で何やら動くものがあるといって、ズドンと発砲でもされたら大問題だ。ボリヴィアと日本の政治問題に発展するかもしれない。その元は一本のススキだったと歴史に書かれたりして……。悪いことは次から次へと想像できるのだが、こんな考えが私の頭を横切ったのはほんの数秒だったろう。どうか、官邸の裏だけはやめてくださいね。私の声は真剣だった。
スーツを何ヵ所もよごして、すりむけた手に三十本のススキを持ったO氏が日会会館の講堂のドアに姿をみせたのは、夜もだいぶふけてからだった。私たちはほっとした。
そして、O氏にそっとたずねた。
「それで、やっぱり裏山で?」
「いや、その近くにもっときれいなものがありました」
心配した分だけ損だった。こうして歴史が書き換えられることもなく、デモンストレーションはその当日を迎えたのである。
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