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南米いけばなの旅

雲の上のデモンストレーション―― ボリヴィア 5

 せっかくのデモンストレーションの日なのに、ガソリンスタンドの全国的なストがはじまって、私は少しがっかりした。お客さまはみえるだろうか。
 人や物の輸送は、高地ではどんなに重要な意味をもっているだろう。
 ガソリンスタンドのストは、たとえ数日であっても、この国の経済には重大な影をおとすことになるだろう。また、何日くらいで収拾されるかによって、政府への評価もちがってくるにちがいない。毎度のこととなると庶民の側でも自衛策を講じるのだろうが、あるいは、なすがままにしているのだろうか。同じようにストが多いイタリアでは、庶民の知恵で、おおかたは堅実に対応していると聞いた。
 朝は、二軒のホテルの中にある花屋さんをまわる。カタログを示して、店員さんは菊なら手に入ると言う。店の中に花は見当たらない。
「どうする?」
「やめといたら」
 実物を見ないことには何とも不安だった。しかし菊はいままで集めた花材のなかには入っていなかった。しかも黄色の大輪というので、少しだけ予備として注文した。私たちの車の運転をしてくれたDさんが届けてくれるという。あとでごわごわした白い紙に包まれた菊が到着した。頭が大きく、茎が細く、葉は小さく、ほとんど枯れていた。頭の重みで下を向いているものもあった。
 花市場からの二十本ほどの真っ紅なグラジオラスが、舞台の上の木を組んだ二メートルほどの作品に加えられ、華やかさを増す。あと二時間ほどでデモンストレーションのはじまりだ。私は舞台と客席を往復しつつ、作品のできばえを点検する。客席の後ろから見ていて、「もっと枝を出したほうがいい」、「右の枝、右、そうそう」と舞台にかけあがったりする。「あ、走ってはいけないんだ」と言いきかせながら、何ともないのでまたかけあがる。大使夫人が何かに使えるかもしれないと運んでおいてくださった、チチカカ湖に浮かぶ芦舟を何分の一かにした小舟に、さっそく一本が三色に染めわけられたススキをいれる。この赤、黄、緑の色はこの国の国旗の色である。
 第一回目のデモンストレーションがはじまった。お客さまは五十人ほどか。
 私は、その人たちにステージの上から、ここラパスでいけばなのデモンストレーションを皆さまにおめにかけることが出来るのをとてもうれしく思います、まずそう言った。ここ二日ほど起こった数々のことを思うと、その思いはひとしお強かった。N嬢が横で聞いていても心地よい通訳をしてくれるのが、観客の反応のかえりかたでわかる。
 打ち合わせのとき、もし時間があったらこんなことを言うかもしれないのでよろしくね、と資料も渡したが、ボリヴィア生まれで、つい最近日本にはじめて行ったというお嬢さんは、いけばなはしたことがないので心配と言いながらも、要を得た言葉をピタリと核心にもっていく通訳をするのだった。
 ボリヴィアの日系人は約一万一千人。そのなかでも日系人の多いサンタクルス出身の彼女は、まっすぐで長い髪をヘアバンドでキリリとあげ、ちょっとかすれた声で、しかしくせのない日本語を話した。いつもさらりとしていて、かといってぶっきらぼうでなく、この山の上の澄んだ空気のようにさわやかな人柄だった。
 まず水盤にいける基本から入る。
 基本の型を説明し、剣山を使うのです、と剣山を実際に観客にかかげてみせる。剣山を知らない人もいるかもしれない。
 インドに剣山を送ったとき、受け取り人のインド人のDさんは、税関に呼びだされ、係官に、「このような形でわが国に金を輸入するとすれば税金は莫大だ」と言われたそうだ。新品のときには、針の部分が光っている。それを金だと思ったようだ。金ではない、花をいけるのに使うといっても信じてもらえず、別の職員があらわれ、「うちの家内もこんなもので花をいける」と言ったので、やっと理解してもらえたという。日系人が移民として生活しているこの国で、まさかそんなことは起こらないだろうが、もしかしたら見たことがない人もあるかと思い、見せたのだった。
 水盤に剣山をおき、そこにいけていく基本の盛花をいけた。トトゥラとバラを使った第一作目ができあがった。
「シンプルだけどきれい」
「簡単にできるのに効果的なのね」
 前の席のボリヴィア人が、手をたたきながら言った。
 筒状の花器が登場する。枝の、観客から見て美しいと思いほうをまず観客にみせ、器の中に入れ、手をはなす。枝は当然器の中で、コロンとまわる。アッと思う観客。そこに今度はそえ木をつけてさっきの一番枝の美しい表情をみせながら、きちんととめる。手をはなし、確実にとまったのが観客に確認されたとたん、「オー」という拍手。客席がざわざわする。さあ、私のなかのリズムも出てきた。プログラムを進めよう。
 インディオの女性たちが、元気よく売っていた花々が花盆にのせられて登場する。彼女たちの花市場は、私たちが想像していたのとはちがい、銀色に光るシャッターをもった、一個一個が同じ大きさのスタンドを集合させた近代的なものだった。
 バラ、あじさい、鉄砲百合、真っ紅なスイートピー、スターチス、マリーゴールド。玉シダは日本のものと同じにみえた。着色した花材も売られていた。数作いけついくうちに、舞台上は思ったよりカラフルになっていった。そして公邸から少し切らせてもらったアイビーが、重ねられた花器から下がる。一重のかすみ草が、太陽の光を十分吸いこんだ花々をひきたて、ユンガスからの枝ものが作品に骨格を与え、微妙なアクセントをつける。
 こうしてみると、三千六百メートルの山の上でもけっこう花材があり、作品に変化が出せるのだなと、いけながらあらたな発見をしたような思いにとらわれる。やはりユンガス峠からの花材の功績が大きかった。デモンストレーションは大きな拍手とともに終わった。
「ご苦労さまでした。ほんとうによかった。とてもすばらしゅうございました。お花も、もちろん先生もね。皆さま、とても喜んでいらっしゃいましたよ。さあ、二階に行ってお茶にしましょう」
 大使夫人のニコニコとした、どこかほっとした表情を見て、私たちもひとまず安心した。
 二階にある日本レストランにお客さまの一部もついてあがる。
 いけばなは日本でどんな人が習っているのですか? どのくらいの期間で教えられるようになるのですか? ボリヴィアに先生はいますか? あなたはどのくらいいけばなを習っているのですか?
 いままでどこの国にいたの? これからはどこをまわるのですか? と、いろいろな質問が出る。
 二回目のデモンストレーションは、二時間半後ということになっていた。この間Nさんと市瀬さんは、一回目のあとかたづけと二回目の準備を大忙しでしてくれている。
 私も準備に行かなければならないのだが、お客さまも大切だし、この座もはずせないと、質問に答ていたところに、O氏があがってきて、
「どうも会場には、また人が残っているようです。二回目もこのまま見ていくようです」
 ストライキのなかを来てくれた人々は、どうせあくせく帰ってもしかたがないと、もう一度見ていってくれそうな様子だというのだ。
 二回目のプログラムはできている。しかし一回目に使った花材の大半をここでも使うことになっているが、一回目と同じ人が見るということは予想もしていなかった。急きょ再検討しなければならない。明日の講習会に、参加者が使用してもいいようにと、とりおいたものを加え、組み合わせをかえる。

 
― 解説 ―
 
いよいよ 今に至るまで 高地でのデモンストレーション――ということでは 最高の海抜でのデモ いろいろとここに至るまで 思いもかけないことの連続でした。今思えば スリルを楽しんでいるかのような文章ですが とてもとても余裕などなく ひたすらこなすということに 頭を使っていたようです。ぐったり疲れた仕事という意味では その後 世界各地での仕事も含め あげられる三箇所のうちのひとつです。
2009 Koka
 
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