変化しつづける芸術― ウルグアイ 3
日本でインタビューなどされた経験をもたない私たちは、旅のはじめのころ、スケジュールに「インタビュー」という文字が入っているのをみつけると、当惑した。聞かれたことには答えるし、知っているかぎりのことは言おう。しかしどの程度まで自分個人の見解を出していいのか。雑誌やテレビやラジオの背後で、私たちには見えない、数えきれないほどの人々が聞いたり見たりしていると考えれば、不安にもなるのだった。
しかし数を重ねるうちに、インタビューのだいたいの様子も察しがつくようになってきた。
インタビューのなかの質問にも、「いい質問だ」と、きかれた私自身が、すすんで答えたいものもある。
「戦後日本の文化は西洋、とくにアメリカの影響をうけたと聞いています。生活様式もガラリと変わったと思います。いけばなのなかで、その影響はどんなふうにあらわれていますか」
「器との関係は、いけばなにとって重要だと思います。僕自身、陶芸をしているので、興味があります。花と器の各々のいかしかたのポイントはどうなのでしょうか」
というのは男性の若い新聞記者だった。
「天、地、人というのがあるといいますが、それについて説明してください」
「いけばなにはたくさんのルールがあると聞きました。きょうデモンストレーションを見ていますと、約束ごとを守るというより、楽しくいけていたように思います。ルールと創造性の関係は、どうなっているのでしょうか」
という質問はデモンストレーションのあと、ざわめきのなかで会場から出たのだった。
「いけるときは、アイデアが先にくるのですか。はじめから、こういう形にしようと決めているのですか。それとも花をあつかっているうちにそういう形になっていくのですか」
同じ会場での質問だが、これなど日本人からも聞かれそうだと思った。
「直接いけばなとは関係ないのですが……」
と前置きし、ある新聞の家庭欄を相当しているという女性は聞いた。
「いけばな以外の趣味は? 家族は?」
得意な料理はと聞かれ、天ぷらと答えた市瀬さんは、そのことまで書かれたと新聞を手にしておもしろがっていた。しかし、いけばなをしている日本人がどんな生活をして、何を考えているか、という点に興味がもたれるのはあたりまえかもしれない。
「若い世代はこういう伝統芸術に、どんな態度をとっていますか?」
「いまの日本の生活のなかに、いけばなは、どうとりいれられていますか?」
という質問も、それをあらわしているだろう。その質問をした人の持っていたスペイン語の日本紹介のパンフレットには和服を着た女性が、床の間で花をいけているモノクロ写真がのっていた。
いけばなが「日本の古い伝統」に根ざしたものだ、という点だけを強調して海外に紹介されるのなら、私は反対である。過去のものとして、成長のとまったものとして見られるのでなく、伝統をふまえたうえで、さらに変化しつつけている芸術だということを理解してほしいと思う場面がたくさんある。日本の先進技術とされるエレクトロニクス機器、車やカメラ、コンピューター、そういうものをつくりだす日本人と、いけばなをいけている日本人とのあいだに、たしかに共通しているものが存在している。その技をどう向けたら一番美しく効果的にいけられるのか、その特徴は他の花材とどう組まれると一番効果的な使いかたができるか、その発想といつもやわらかにしていなければならない頭脳は、どんなものをつくるときでも必要である。
そういう点を紹介する日本側に、もっと工夫があってもいい。
たまに、デモンストレーションのバックグラウンドミュージックとして音楽を流すことがある。
「それでは日本的な、お琴か何かの入っているテープでも使用しますか」
と言われることがある。
「それもいいけど……」
と私は言う。フランス人のお客さまがデモンストレーションにみえたときは、フランスの作曲家エリック・サティのピアノ曲を選んだ。繊細で、心臓の鼓動ともあったサティの音楽はデモンストレーションのあいだに、人々の耳にキラリと光った空間を演出してくれた。デモンストレーションの最後に音楽のことにもふれるとうなずく人がたくさんいて、前の席から、
「ええ、私も大好き、サティは」
という声が聞こえた。
デモンストレーションの途中で、
「きょうはきものを着ていますが、こんな大きな作品を作るときは釘も打たなければならず、はしごに登ることもあります。ですからふだんはジーンズにTシャツ、スニーカーのことがほとんどです」
と言うと、安心のような笑いが会場にひろがる。そんなとき私は、自分がたんに一流派に属するいけばなをしている人間ではなく、「伝統」にかかわっていて、しかもいま、二十世紀を生きている一人の日本人として、発言していきたいと思っていることに気づかされる。
また私はそんな思いをもって質問に答え、インタビューに応じていったのだった。
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